自分を変えたい!でも上手くいかない・・ | |
私は自分のことが好きになれず、でもそういいながらも
自分を変えようとしてもうまくはいかず、結局は変われない自分に嫌気がさし、めちゃくちゃにしてしまいたくなってきます。 たくさん本も読み、自分なりに試してみてはいるのですがうまくいきません。 助けを求めるって、どういうことなんですか?私だって助けて欲しいと思います。でも結局は自分のことなんだから、自分でしないと何も変わらないと思うんです。 人からも大切にされているのに、出来ない自分が情けないのです。どうしたらいいのでしょうか、教えてください。 |
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カミーユさん 33歳 女性 |
カウンセラー: 中原志帆(退会) |
カミーユさん、はじめまして。中原と申します。 カミーユさん、もう頭の中グチャグチャでしょう?気分が悪くて、腹立たしさなんかも感じておられたりするのではないですか? 何故こんなことを言うかと申しますと、私が同じような状態だったとき、こんな感じだったからです。 さて、メールを読ませていただいて、感じたことを順に述べていきますね。 最初に思ったことは、たくさんの本を読んだところで所詮それらは情報にすぎないのですよねってことでした。次のようなことを聞いたことがあります。 『百聞は一見にしかず。百見は一考にしかず。百考は一行にしかず。』 この喩えからすると、単純計算で『百万聞は一行にしかず』ということになりますね。 本はあくまで他人の経験であって、自分のものではないですから、仮染めのものなのですよね。 でも、カミーユさんはただ読むだけで終わらず、それなりに実行しようとされました。しかし上手くはいかなかったということですよね。 上手くいったとは、どういう状況を言うのでしょう。何を目安に上手くいかないと判断されたのでしょう。 本屋さんで見ていると、心のことのみならず『○日間で変われる本』という意図のタイトルをよく見かけます。この『○日間』は何処から来ているのでしょうか? 標準的な統計があるのでしょうか? だとしたら何をもって標準ってしているのでしょう? 不思議なのですよ、私としては。 広告等で『徒歩3分』なんて標記を見ることがありますが、本当に歩いてみると5分とか掛かったりした経験ってありませんか? ある会社は『1km=3分で計算しています。』と小さく書かれているのを見つけたことがありました。 それって考えてみるとマラソンランナーくらいのスピードだったと思うのですよね。小走りよりも早いくらいを徒歩って言うのかな?と思いました。 『まる日間でこれくらい変われる』と書かれていたとしても、それは著者の希望的なものであったり、もしくはそういう顕著な例があったということかもしれません。きりのよい数字や語呂のよい日数を挙げると興味を引く又は手に取られやすいなどという効果を狙っている場合もあるかもしれません。そうするとこれは目安であり一例として参考程度に思っておくくらいが無難なのではないかと思います。 一人一人が置かれている環境や状況、性格や体質は多少の類似はあったとしても何処か異なっていると思います。ですから、行動してみた結果が本の通りではなかったり、思い描いていたものと違ったとしても一概に上手くはいかなかったとは言えないのではないでしょうか。 大事なのは変えていこうという意志を持ち続けること。思うように上手くいかないときは、何故そうなったのかを考え、そこから学んでいくことではないでしょうか。 本から得たヒントを上手く活用し、発展させていくのは読者本人なのではないかと思います。 そして『助けを求める』とは何かということです。 自分のことは自分でしないと何も変わらないのは最終的にはその通りだと私も思います。自分を変えることができるのは本人だけです。他人にできることではありません。 ただ、一人きりでそれに取り組むのと信頼できる誰かに見守られているのとでは大きく違うのではないかと思います。 例えば何かあったときに一人きりだったとすれば、救助を呼ぶこともできずに大変なことになってしまうかもしれません。でも、一人でも見守る人が居たらその人が助けてくれたり、その人が助けられなかったとしても助けられる人を呼んでくれるかもしれません。 また一人きりで自己や問題とかと向き合っていると行き詰まって出口が見えなくなってしまったり、思考が堂々回りに陥ったりすることが起きたりすることが考えられます。 そんなときに信頼できる人が、冷静な観点で自分の置かれている状況を教えてくれたり、思い付かなかった視点や考え方から意見をくれたとしたら、それが糸口となって先へ進むことができたりするかもしれません。 これらも『助け』とは言えないでしょうか。これを自分から言葉にすることが『助けを求める』ということの一つなのではないかと思います。 他人に変わりにしてもらう。他人に変えてくれるように何かしてもらう。これは『助けを求める』というより『依存』なのではないかと思います。 カミーユさんは周囲の人から大切にされていると感じておられますよね。 その人たちに『情けない私でごめんね。』と謝罪の感情を持たないであげて下さい。きっとその人たちはそんな思いをカミーユさんがすることを望んでいないと思います。 その人たちのカミーユさんを援助しようとしている思いを見てあげて下さい。そして見守ってくれていることに気付いてあげて下さい。 その思いを感じることができたとき、『助けを求める』ということができるかもしれません。また、カミーユさんがご自分自身を見る目も変わっているかもしれません。 参考になりましたでしょうか。よろしければ、 一度試してみて下さい。 それでは、ありがとうございました。 |
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