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質問デコボコでも、精一杯頑張る自分を愛してあげたい
いつも楽しく拝見しております。
特に相談例は他人のケースとはいえ、我が身と照らし合わせては、ドキッとしたりひやひやしたり、思わず納得!したり、かなり揺さぶられていますが(笑)、参考にさせて頂いております。

人生いろいろあるもので、ふとこのままでいいのだろうかと疑問がよぎったり、危機感や必要性を感じたり、素敵になりたい、幸せになるんだ!と心に誓ってはいろんな事にトライしてきましたし、その過程も楽しんできたとは思います。ところが
「そんな事したって何が変わるの?」
「できっこないわよ」
とか、そんな否定的な言葉が頭に浮かんでしまう時があります。

思うような結果が出なかったり、大変な過程を通っている時にも
「だから無理だって言ったじゃない」
とかそんな感じです。まるで幸せになる事や自信を持つよりもまるで自分をいじめているようです。他人にはこんなひどい事言えないのに、どうして自分自身には言えてしまうのかわからないのです。もしかして無意識に他人にもそんな視線やメッセージを送っているとしたら、ホントに恐ろしいと思うし自分が嫌になってしまいます。

こんな風になった理由やきっかけは自分ではよくわかりませんが、思い当たる事があるとすればこんな事です。

学生時代から今でも
「あなたは優等生だから」
「私達と違って強いししっかりしてるし、人間力があるから」
と言われて寂しい思いをした事が何度もありました。

学生時代、進学率の低い高校へ二次募集で入りましたが、どうしても大学へ行きたかったのでみんなが遊んでいる間も勉強してた事もあります。学芸に秀でるとまではいかなくても、必要があった為それなりの成績は取っていたと思います。ノンキな事に順位には無頓着でした。他にもいろんな検定にチャレンジしました。

社会に出てからもみんなが合コンとか行って盛り上がっていたのは知ってましたけれど(それはそれでよいと思っていました)、技術職を選択した私は、早く一人前になりたい一心で身銭を切って夜学校へ通ったりしてきました。
(でも私だって結婚したい、素敵な男性に会いたいと思っていたから彼女達の話をワクワクしながら聞いたものでした。)

これらの努力をしても
「はじめから優等生だった」
「努力をしようって思える事自体がもう違うのよ」
とか言われました。それも悲しかったけれど、彼女たちのいい所を知っていたし、伝えてきたのにというのと、彼女達が向上心を抑えこんでしまう何かがあるような気がして悲しかったのもありました。と同時に、努力もしていない、成績もよくない、年収も高くない振りをしていればよかったのかとも思いました。

努力している姿、時にはへこんでいるところも見せてきたつもりだったのに、優秀だから、聡明だから、私達とは違うからと言われてしまうのが何度もあると、このまま努力もせず安穏と生きていた方が無難じゃないかとさえ思った事があるほどです。
男性関係においてもそう思う事はありました。

それだけ自信のない男性だったのかしらとも思う反面、劣等感を刺激してしまうような言動があったのかしら?とも思います。変に頼られたりもしました。一見、ぽーーっとしててあぶなっかしく見えるけど、本当は強いし頭いいじゃんと言われてもそれは誉め言葉ではなかったようです(苦笑)。自信喪失です。

同じタイプの友人もいるんですが、彼らは
「自分のレベルが上がればそれなりの友達もオトコも、お金も寄って来るから自分を信じていればいい。能力を出し惜しみするな。中途半端だと伸びるものも伸びないぞ。」
と言ってくれたり、私のいい所を誉めてくれたりするのですが、時々素直にそれを受取れなくなってしまうのです。本当にそうかなぁ?って。

私は優等生だったわけではないし今でも優秀かどうかと言われるとわかりません。自分の仕事も恋も人生も事の大小に係わらず真剣に取り組みたいと思っているだけの毎日です。会社では不器用で周りから怒られてばかりの後輩の面倒をみさせて頂く事も多いのですが、彼らといると安心感さえあるんです。私も同じだったなぁ、一緒に私ももう一回頑張ろうって思うんです。

そして私には12歳から10年間内臓疾患による闘病生活の経験があります。数十回も入退院を繰り返しました。手術も3回受けています。そんな中で諦めなければならない事も多かったので、決して平坦な道を歩いてきたわけではないんです。痛みや不自由に耐えながらも
「何かを諦めなければならない生活は嫌だ」
と嘆くばかりでなく、違う何かを得られるんだと思ったり、できる事を数え上げていけるようになるまでは、大変でしたが、これらの事さえ理解してもらえないようです。強いもんね、で終りです。

そんな自分の中に
「強さ=かわいげのなさ」、
「能力がある=かわいげのなさ」
「しっかりしてる=ロクな事がない」
という概念ができてしまったのか、あまり一生懸命やらない方がいいんじゃないかって思っているようです。その反面、たった1回の人生だからいろんなチャレンジをしたい、前向きに捉えたいって思うのですが、時々前者の考えが足を引っ張ってくれます。どこかで人の目を気にしているんでしょうね。

このネガティブな声を消して、堂々といろんな事をしたいんです。そしてそんなデコボコで精一杯頑張る自分を愛してあげたいし、尊重しあえる素敵なパートナーも欲しいです。この声がある以上、いつまで経っても自分にOKを出せない気がしています。

AKIKOさん

回答 カウンセラー: 原裕輝
こんにちは AKIKOさん原といいます宜しくお願いします。

いつも相談コーナをご覧いただいてありがとうございます。今回は他人のケースではなく、AKIKOさんご自身の相談内容ですので、いつもにましてドキッとしたりひやひやしたり、思わず納得!したり、かなり揺さぶられていただきたいと思います。(笑)

相談内容を拝見させていただきました。いままで自分がよりよくなる為に相当な努力していろいろ学ばれてきたんですね。その努力したぶんだけ、周りからも評価を得られているようですね。しかし、今はその周りからの評価は、あまり嬉しくなさそうですね。

AKIKOさんのお友達が言われるように自分のレベルが上がればそれなり の友達もオトコも、お金も寄って来るというのはその通りだと思います。自分が変わった分だけ、手に入るものもどんどん変わってくると思います。学んで変わられていくぶんだけ欲しい幸せの形は現実化していくと思うんですね。

「世界は鏡のようなもの」という言葉があるんですね、世界は鏡のようなものだから自分が変われば世界は変わっていくよ、自分がよくなっていけば自分の周りの世界は良くなっていくし、自分がすさんでいけば自分の住む世界はすさんでいくという意味の言葉なんですね。

この言葉は世界各地で神話や寓話を通して言われているそうです。仏教の教えなんかでも言われているみたいですね。もちろん心理学的にみてもこの言葉はその通りなんですね、投影や、個人の影響力、心理的メカニズムいろいろ面からいってこの言葉はその通りだと思います。お友達の言われていることは信じてられてOKですし、今までがんばってきたことに自信を持たれるといいと思います。

がんばってきたけど、このままでいいんだろうかという葛藤がありますよね。がんばったらきっと上手くいくという方向の思いと、どうせ無駄だという方向の思い、まったく正反対の思いが同時に存在しているから、いくら前の進もうとしてもプラスマイナスゼロになってしまってクタクタになっていることが多いと思います。

車に例えるなら、まれでサイドブレーキをかけながらアクセルを踏んでいるようなものですね。このままでは、エンジンも燃え尽きちゃいますよね。この反対方向の方向にエネルギーを向かわしてしまう心理的なブロックを取っていくことが必要なようですね。

すごくがんばられて、一生懸命やられてきたようですが、頑張って、頑張って、頑張ってきた自分にご褒美は上げてこられましたでしょうか?ここでのご褒美は自己承認だったり、実際に自分になにか買い与えたり、自分になにか許可したりするもんだったりしまうす。

例えば、幸せになろうと頑張って自分を変えようとしている時、「私変わったわ ムフフフ・・・」という自己承認がなかったり、幸せと感じるものを自分にあたえたり、幸せを自分が持つことに許可していかないと、疲れてしまって頑張ることがしんどくなってしまうと思うんです。

例えば夏の暑い中外で草むしりなどの肉体労働をしたとしましょうね、終わった後冷たいビールが待っていると思えたら頑張れるし、いい仕事したと嬉しい気持ちになれますよね。これがただひたすら草むしりのみでなんのねぎらいもご褒美も無ければ嫌になりますね。ご褒美がない=がんばっても成功体験がないとということですから、
「このままでいいんだろうか、頑張っても無駄じゃないか」
と自信が無くなってしまっていると思います。なにか自分にご褒美を与えてあげることが必要だと思います。

もう一つ相談内容を読んいて思ったのですが、強さ、能力、しっかりしているなど自立的で完璧な自分に向かってがんばられてこられたんじゃないかなと思うんです。これはすごくいいことだと思うんですね。でも、頑張ってきたのに疲れてしまった、頑張らないほうがいいのではと思うということは、依存時代の自分や、痛みをきらいって完璧な自分を目指されたと思うんですね。

依存時代、(この場合多くは子供時代というケースが多いです)傷ついたり、このままでは愛されないと思う経験があったばあい、これ以上傷つかない為に、人から愛される自分になる為に僕たち人は完璧を目指そうとするんですね。だけど人間完璧というものはないですから、完璧でない自分に嫌気がさすし、つかれてしまう。

もう一方で、こんな私ではダメだと自分を否定しながら完璧を目指すのでいくらよい自分になって人から愛してもらったり、褒めてもらっても、まるで仮面をかぶった偽者の自分を見られているようで、嬉しい気持ちが全然でてこないんですね。このことから言って依存時代の痛みが隠れてると思います。依存時代の痛みを癒す、ありのままの自分を受け入れていく、自己承認していくことがよりよい自分になる為にテーマになってくると思います。そうするとで、反対方向に向かっているネガティブなエネルギーを前に進む力に変えていくことができて、自分をもっと愛してあげることもできるし、欲しい幸せの形が手に入ってくると思います。

もう一つは強さ、能力、しっかりしているなど自立的で完璧な自分に向かってがんばられてこられたということは、頼る、お願いする、甘える、自分に優しくするという依存時代学ぶことをしっかり学べなかったことはないでしょうか?今このことが苦手なことはありませんか?このことを学んでいくことも、もっと楽になっていく、もっと自分を愛してあげることに必要だと思います。

今回の相談コーナはドキドキ、ワクワク、冷や冷やしていただけたでしょうか?あと納得も(笑)自分が変われば変わった分だけ、手に入るものは変わってきますし、よりよい幸せが手に入ると思います。きっと幸せになれると思います。応援しています。


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